からふろの由来


 通称「塚原のから風呂」と言い、さぬき市昭和川上にあります。北に白山、熊田池をひかえた風光明媚なところにあります。この風呂は約1300年の昔、奈良時代の高僧行基が讃岐に来た時に、庶民の病気を治すために造られたといわれています。風呂の構造は幅1.2m、奥行2.7mの豊島石(てしまいし)の石室で、石の間は粘土で固めています。

 江戸時代末期(嘉永6年)に作られた「讃岐国名勝図絵」に塚原温室と書かれ、病に効あり、人多く入室するとあり、武士をはじめ多くの利用者で賑わっていたことが文献等で分かっています。利用者の増加もあって、明治44年に同型の風呂を東側に1か所増設しました。

 このから風呂は筒井家が先祖代々風呂番をしていたが、番人が亡くなり長尾町の医師間嶋禮次郎氏と大石徳一氏が購入し、土地を長尾町に寄付しました。長尾町は昭和47年に老人福祉センター行基苑を建設し、以来長尾町社会福祉協議会が管理運営をしてきました。平成14年町村合併でさぬき市となり、さぬき市社会福祉協議会が引き継ぎ、管理運営をしていましたが、利用者の減少等の理由により平成19年3月末で休止となりました。平成20年3月、地元有志がから風呂を再開したいと「から風呂保存会」を結成し、平成20年7月6日にオープンさせ、以降から風呂保存会が管理運営をしています。